2020年10月1日

【松江の石碑】雑賀町「堀尾吉晴・忠氏公城地選定之地」

<写真>

<地図>松江市雑賀町

<碑文>
慶長5(1600)年関ヶ原の戦いで功績を挙げた戦国武将堀尾吉晴の子忠氏は、出雲隠岐24万石を拝領、月山富田城に入った。しかし、富田城は山城で城下が狭く移城を決意、幕府に願い出た。
床几山は東が広瀬往還につらなる。二人がこの地で床几に腰掛け話し合ったことからこの名がついた。眼下は意宇郡、北の島根郡にかけて川や沼地が多く水運と防衛上の地形は抜群、城地については吉晴が「荒和井山」忠氏が「亀田山」と考えを異にしたが、忠氏が慶長9年28歳の若さで急死したため、その遺志をくんだ吉晴は亀田山に決め、慶長12年築城を始めた。
吉晴公は尾張国の生まれ天下統一を目指す信長、秀吉に仕えて数々の戦功を挙げ三老中にも列した。普請もまた経験豊富で、城下町松江の礎を成した。
慶長16年69歳で他界。
松江開府の祖吉晴公は城山の松江神社に祀られ、毎年11月3日にはここ床几山に御神霊を遷座、湖都松江のさらなる発展を願う祈念と感謝の儀式が執り行われる。
<建立>
平成24年(2012年)11月吉日(碑文より)
松江開府400年記念
雑賀まちづくり推進協議会

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