2020年9月30日

【松江石碑】雑賀町「堀尾公城地選定の地床几山」

<写真>

<地図>松江市雑賀町

<碑文>

堀尾吉晴 忠氏公
城地選定之地

 慶長五年(1600)年関ヶ原の戦いで功績を挙げた戦国武将 堀尾
吉晴の子忠氏は 出雲隠岐二十四万石を拝領 月山富田城に入った
 しかし 富田城は山城で城下が狭く移城を決意 幕府に願い出た
 床几山は東が広瀬往還につらなる 二人がこの地で床几に腰掛け
話し合ったことからこの名がついた 眼下は意宇郡 北の島根郡に
かけて川や沼地が多く水運と防衛上の地形は抜群 城地については
吉晴が「荒和井山」忠氏が「亀田山」と 考えを異にしたが 忠氏
が慶長九年 二十八歳の若さで急死したため その遺志をくんだ吉
晴は亀田山に決め 慶長十二年築城を始めた
 吉晴公は尾張国の生まれ天下統一を目指す信長 秀吉に仕えて数
々の戦功を挙げ三中老にも列した 普請もまた経験豊富で 城下町
松江の礎を成した 慶長十六年六十九歳で他界
 松江開府の祖 吉晴公は 城山の松江神社に祀られ毎年十一月三
日にはここ床几山に御神霊を遷座 湖都松江のさらなる発展を願う
祈念と感謝の儀式が執り行われる

<建立>

平成24年(2012年)11月(碑文より)

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