<写真>

<地図>松江市母衣町
<説明>
宝暦七年(1757)、学問の振興に熱心であった第六代藩主宗衍(むねのぶ)は、 儒者である桃白鹿を儒官として召抱え、屋敷内に塾(藩校)を設立し藩学の興隆を はかりました。 当初は「文明館」と名づけられましたが、天明四年(1769)、「明教館」と改称 され、館舎も増築しました。 石碑の主は、幕末の儒者で桃家の跡を継いだ節山です。
島根県松江市の石碑を巡って掲載しています。
宝暦七年(1757)、学問の振興に熱心であった第六代藩主宗衍(むねのぶ)は、 儒者である桃白鹿を儒官として召抱え、屋敷内に塾(藩校)を設立し藩学の興隆を はかりました。 当初は「文明館」と名づけられましたが、天明四年(1769)、「明教館」と改称 され、館舎も増築しました。 石碑の主は、幕末の儒者で桃家の跡を継いだ節山です。