<写真>

<地図>松江市千鳥町
<碑文>
松江大橋 四つ手の網に 白魚いとしや すくはれる
白魚いとしや 四つ手の網に わたしやあなたに すくはれる
生田春月
明治25年3月、米子市道笑町に生る。
生家没落のため、”貧困と労働”の中にあって戦難辛苦とたたか
い文学を志す。17才、単身東京にのぼり大正6年、第一詩集「霊
魂の秋」を世に問う。以後、数多くの詩・評論・エッセイ・創作
を著わし、詩人として近代日本文学史上に大きな足跡を残す。
一方、独学にして語学を修め、翻訳家として、また思想家とし
ても一家をなす。とくに日本におけるハイネ紹介の業績は高く評
価さる。
人生に対し真実に生き抜いた春月は、苦闘・煩悩のすえニヒリ
ズムの徹底堺に達し、38年の生涯に自ら終止符を打ち、昭和5年
5月19日、瀬戸内海に身を投ず。その文業の多くは「生田春月全
集」全10巻にあり。
碑面詩は、春月のかくれた一面を示す作品で、郷土山陰をこよ
なく愛した春月が、大正11年当地をおとずれ詩作した、「出雲新
唱」からの一篇である。
昭和51年7月
廣野晴彦誌