<写真>

<地図>松江市北堀町
<説明>
江戸時代の中頃、度重なる災害などで窮乏のどん底に
あった藩財政立直しを決意した青年藩主松平宗衍(むね
のぶ)を助けて中老として様々な方策を工夫し努力した
小田切半三郎備中の屋敷は、この公民館西隣りの位置に
ありました。
備中は、宗衍から破格の信頼を託されると、下士の中
から有能なスタッフを選び「趣向方(しゅこうかた)」
を組織して、藩政打開の道を求めました。
しかし、彼の必死の努力も「焼け石に水」、遂に報わ
れませんでした。が、彼の播いた種は、後に宗衍の子の
不昧公の時代に花開くこととなったのでした。
(説明板より)