<写真>

<地図>松江市魚町
<碑文>
明治元年二月雲州松江藩は明治新政府山陰道鎮撫使 西園寺公望卿を迎え存亡の危機に立ったこの時藩の鍼 医錦織玄丹の娘加代女はすすんで接待の任に当りその 容姿と侠気は一行の胆をひしぎ藩の急を救うに役立っ たという晩年酬われなかったが維新の大波瀾に遭遇し 身を挺し松江女の気慨を示した玄丹お加代の名を語り 継ぐよう由縁の地にこの碑を建立するものである 昭和47年11月松江市民有志 吉村ヨシノ書
<建立>
昭和47年(1972年)11月建立(碑文より)
島根県松江市の石碑を巡って掲載しています。
明治元年二月雲州松江藩は明治新政府山陰道鎮撫使 西園寺公望卿を迎え存亡の危機に立ったこの時藩の鍼 医錦織玄丹の娘加代女はすすんで接待の任に当りその 容姿と侠気は一行の胆をひしぎ藩の急を救うに役立っ たという晩年酬われなかったが維新の大波瀾に遭遇し 身を挺し松江女の気慨を示した玄丹お加代の名を語り 継ぐよう由縁の地にこの碑を建立するものである 昭和47年11月松江市民有志 吉村ヨシノ書
昭和47年(1972年)11月建立(碑文より)