2021年7月28日

【松江石碑】雑賀町「堀尾吉晴・忠氏公城地選定之地」

<写真>

<地図>松江市雑賀町 床几山公園

<碑文>

 慶長5(1600)年関ヶ原の戦いで功績を挙げた戦国武将堀尾吉晴の
子忠氏は、出雲隠岐24万石を拝領、月山富田城に入った。しかし、
富田城は山城で城下が狭く移城を決意、幕府に願い出た。
 床几山は東が広瀬往還につらなる。二人がこの地で床几に腰掛け
話し合ったことからこの名がついた。眼下は意宇郡、北の島根郡に
かけて川や沼地が多く水運と防衛上の地形は抜群、城地については
吉晴が「荒和井山」忠氏が「亀田山」と考えを異にしたが、忠氏が
慶長9年28歳の若さで急死したため、その遺志をくんだ吉晴は亀田
山に決め、慶長12年築城を始めた。
 吉晴公は尾張国の生まれ天下統一を目指す信長、秀吉に仕えて数
々の戦功を挙げ三老中にも列した。普請もまた経験豊富で、城下町
松江の礎を成した。慶長16年69歳で他界。
 松江開府の祖吉晴公は城山の松江神社に祀られ、毎年11月3日に
はここ床几山に御神霊を遷座、湖都松江のさらなる発展を願う祈念
と感謝の儀式が執り行われる。

<建立>

平成24年(2012年)11月吉日(碑文より)
 松江開府400年記念
 雑賀まちづくり推進協議会

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